【雑談】初めて所有したクルマとその思い出、相棒と呼ぶようになった経緯

今回は完全に個人的な内容になります。
ご興味があるかただけご覧ください。
同世代、同じようなクルマ好きのかたは
もしかすると共感していただけるかも・・・
(ていうか世代がバレます)

愛車遍歴・その1

私が運転免許証を取得したのは、確か
21歳くらいだった気がします。。

子供の頃からクルマが好きだった割に
免許取得は結構遅かったです。
しかも免許取得に結構時間もかかりました。

実技は全部1発で合格するのに、
効果測定?(今もそう呼ぶのかな?)
10回位落ちてました。

ひっかけ問題の裏の裏を考えて
結局表に戻っていて普通に引っかかる・・・
ということを延々と繰り返していたわけです。
(ただのバカです笑)

そんなこんなで、念願の免許を取得しました。
が、当時、東京でひとり暮らし&貧乏大学生
でした。
貧乏大学生で都内に住んでいたら
当然クルマなど不要ですし、むしろ
贅沢品のような存在でした。
「クルマを所有」は夢のまた夢でした。

それでも、なんとしてもクルマの運転をしたい!
ペーパードライバーにはなりたくない!
と思い続けました。

当時、朝日新聞の新聞奨学生をしていました。

スーパーカブ?で配達をするのですが、
途中で「中継」といって、積みきれない新聞を
途中のマンションにまとめて置いてくれるという
便利な仕組みがありました。

その中継はクルマでされていることを知りました。

「あ、この新聞販売店には、クルマがあるんだ」と。

「じゃあ中継をしている社員のひとと
仲良くなってクルマを借りよう!」
と思いついたのでした。

ですが当然貸してくれるわけもなく・・・
でも諦めずに粘りました。。

もう思い出せませんが、何かしらの理由をつくって
なんとか借りた覚えがあります。

免許を取得して初めて走行した都内。
メッチャクチャ緊張したし
何回もエンストしました。
軽自動車の1BOXで当然マニュアル車です。
目的もなく気の向くまま走っていました。
(よく迷子にならなかったな、と今になって思います)

そしてその後さらに社員の方と仲良くなり
比較的簡単に借りられるようになっていきました。

当時ナビなどなかったので
乗る前に地図を見てなんとなく覚え
方角や目印となる建物、信号の名前を覚えたり
通りの名前を覚えたり。

なんというか、今までで一番楽しい時間でした。
都内の主要道路の名前を覚えたのはこの頃でした。

大学と新聞配達の間、夜8時から11時位の
スーパーゴールデンタイムでした。
懐かしい・・ていうか勉強しろよ!

そんな新聞奨学生の生活も終え
大学5年生のときです。(留年してしまった笑)
仲良くしてくれていた先輩が
クルマを乗り換えるという理由で
今乗っているクルマを格安で譲ってくれる
という、
夢のような話が舞い込んできました。

当然即決しました。

日産  グロリアワゴン(Y30)  走行距離 148,000km

超絶渋いクルマでした。外観はけっこうボコボコで
助手席側のドアの下はぶつけた跡があって
ちょっとした穴も空いていました。

当時の流行りといえば
マークⅡワゴンやらレガシィ、アメ車のアストロやカプリスが
ウーファーを鳴らしながら走っていました。
そんな時代です。

IWGP(池袋ウエストゲートパーク)が放送される
2年前くらいで、カラーギャングみたいなのが
出始めていて、よくアメ車を見かけました。

(上京して初めてアメ車を見たときのことは
一生忘れないと思います。そして後のクルマ選びに
影響を与えることになります)

厨二病だった当時の私は、当然夜な夜な池袋に
繰り出して音楽ガンガン鳴らしてみたり
まだドンキホーテが新宿にできたばかりの頃で
どんなところ?と深夜に友達と行ってみたり。

とにかく時間があればクルマの中で過ごしました。

V6の2,000ccで確かフェアレディZと同じエンジンだった
気がします。
この頃はエンジンとかあまり興味がなく
とにかく見た目がカッコいいクルマ
大きいクルマ、アメ車っぽいクルマが好きだったわけです。

このグロリアワゴン、内装も渋かったです。
メーターが四角なんです。レトロです。
ダッシュボードが断崖絶壁なんです。

兄弟車のセドリックワゴンとの見分け方とか
クリアテールにしたらきっとイマイチなんだろうなとか
このクルマにはエアロとかつけないほうがカッコいいとか
ボコボコにしても様になるクルマだな〜とか
海に行かなきゃ、とか

とにかく乗りまくりました。所有して1年もしないうちに
2万キロくらいを都内と近郊だけで走行しました。

17万キロくらいでさすがに調子悪くなりましたが
エンジン載せ替えて乗っていました。
多少ぶつけても全然気にしませんでした。
本当に好きなクルマでした。

このクルマのおかげで、都内の裏道をだいぶ
覚えました。(タクシードライバーですか?というくらい)
そして車幅感覚もだいぶ養われた気がします。
(たくさんぶつけました)

22歳から24歳までのたった2年間でしたが
最後廃車にしたとき、走行距離は19万キロを
超えていたのでおよそ5万キロ走行したことになります。

当時付き合っていた彼女は千葉県に住んでいたため
東京から千葉まで、何度往復したことか・・・
貧乏で高速にも乗れず。

ひとりで目的もなくドライブしたり
友達とウロウロしたり
彼女とデートにでかけたり
寝ているか、クルマに乗っているか、
というくらい運転していました。

本当に思い出がたくさん詰まったいいクルマでした。
(この頃からクルマは相棒みたいな感覚が生まれたのかも
しれません)

・・・
まとまりのない文をここまで読んでいただき
ありがとうございます。
まだまだ続きがありますので
気が向いたら読んでみてください。

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